東京地方裁判所 平成10年(ワ)3862号 判決 1999年4月28日
茨城県猿島郡三和町下片田八四四
原告
国友忠こと 大熊國一
右訴訟代理人弁護士
石黒武雄
東京都大田区東馬込二丁目一二番二号
被告
高見一朗こと 田村金一郎
右訴訟代理人弁護士
奥川貴弥
同
川口里香
主文
一 被告は、原告に対し、金二〇万円を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。
二 被告は、原告に対し、別紙謝罪広告目録記載の内容の謝罪広告を、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞の各全国版に各一回掲載せよ。
第二 事案の概要
本件は、被告がラジオ放送で浪曲を口演したことが、原告の著作した浪曲の台詞の著作権を侵害したと原告が主張して、被告に対し、損害賠償及び謝罪広告を請求した事案である。
一 前提となる事実(証拠を示した事実以外は、当事者間に争いがない。)
1 原告は、昭和八年に浪曲師初代木村重友に入門し、昭和一四年に真打ちに昇進し、昭和二七年に国友忠と改名し、国友流を創立して以来、浪曲家として幅広く活動してきた(甲一、一四)。
被告は、昭和三〇年ころ、原告の浪曲教室で生徒として浪曲を学んだことがある。
2 被告は、NHKの全国ラジオ放送で、平成九年一一月一六日及び二一日の二回にわたり、浪曲作品「猫虎往生」(以下「本件著作物」という。)について、題名を「猫虎」と変更し、口演時間が約三〇分であった(弁論の全趣旨)のを二三分三〇秒に短縮し、台詞の内容を別紙対照表の下欄記載のとおり変更して、これを大沢初一の作品と紹介させて、口演した。
なお、本件著作物の内容は、別紙対照表の上欄記載のとおりである(甲九)。
二 争点
1 本件著作物の著作者
(原告の主張)
原告は、大沢初一のペンネームで、昭和三四年までに、尾崎士郎の作品を基にして、本件著作物を創作し、これについて著作権及び著作者人格権を取得した。
(被告の反論)
原告が本件著作物を創作したことは、知らない。
2 著作権侵害の有無
(原告の主張)
被告は、NHKの全国ラジオ放送で二回にわたり、原告に無断で、本件著作物を口演し、もって放送事業者と共同して本件著作物について原告の有する上演権及び放送権を侵害した。
被告は、その際、本件著作物の題名を無断で「猫虎」と変え、台詞の内容についても改悪して口演し(但し、節調変更については主張しない。)、もって本件著作物について原告の有する同一性保持権を侵害した。
(被告の反論)
被告は、昭和五〇年ころ、原告の口演を聴き、録音して本件著作物を暗記した。NHKから浪曲の口演依頼があったので、原告の右口演が約三〇分であったのを、放送時間の関係で二三分三〇秒に短縮し、浪曲中に「人呼んで猫虎」という部分があったので、「猫虎」と題して口演し、NHKで放送された。右短縮は、本件著作物の一部を省略したもので、浪曲そのものはほとんど変更されていない。
浪曲は、同一人の口演であっても、その時々によりアドリブが入るなど内容が異なり、口演時間も変わるから、台本との多少の違いは同一性を害することにはならない。被告の口演は、原告の口演の内容にほぼ近いし、口演時間も、NHKの都合で多少短縮したにすぎない。題名の変更も、被告の記憶により変更したにすぎず、意図的ではないし、両題名に実質的な差異はない。したがって、被告の行為は、同一性保持権の侵害に当たらないし、やむを得ない改変として違法性がない。
3 損害等
(原告の主張)
浪曲は、演者の音声を聞きながら曲の話筋の展開をも聞き覚えてその内容に感動したりして楽しむので、一度全国放送がされるとほぼ三年間くらいは同じ演目を口演することを避けなければならないのが、浪曲界における通例である。したがって、右上演権及び放送権の侵害により、原告は、五〇万円の財産的損害を被った。
また、本件著作物は、原告の代表作であるところ、これを無断で前記のとおり改悪した浪曲が二度も全国放送され、しかもその際、ことさらこれを大沢初一の作品と紹介させたことにより、原告は多大の精神的苦痛を被った。被告は、以前にも原告の浪曲作品を無断で放送により口演したことがあり、その行為は悪質である。これらの事情によれば、原告の精神的損害に対する慰謝料としては、少なくとも五〇万円が相当であり、また、謝罪広告も必要である。
(被告の反論)
被告の行為は、ほとんど忘れ去られた本件著作物を広く世に紹介し、商品価値を高めたものであるから、原告には財産的損害はない。
第三 争点に対する判断
一 争点1について
証拠(甲一ないし三、九、一七)によれば、原告は、昭和三四年までに、大沢初一のペンネームで、尾崎士郎の作品を基礎として、別紙対照表の上欄記載のとおりの内容の本件著作物を創作したことが認められ、これに反する証拠はない。
二 争点2について
被告が、NHKの全国ラジオ放送で二回にわたり、原告に無断で、本件著作物を口演したことは、当事者間に争いがないから、被告の右行為は、放送事業者と共同して本件著作物について原告の有する上演権及び放送権を侵害したものといえる(本件著作物の台詞と被告が口演した台詞は、変更した部分があるが、実質的に同一であると解すべきであるから、著作権侵害が成立する。)。
次に、被告は、本件著作物の題名が「猫虎往生」であるのを「猫虎」と変更し、口演時間が約三〇分であったのを二三分三〇秒に短縮した上、台詞の内容が別紙対照表の上欄記載のとおりのものであるのを下欄記載のとおりに変更して、ラジオ放送で口演した。このように、口演時間を四分の三程度に短縮するため台詞を削除するなどの改変を加えた行為は、本件著作物について原告の有する同一性保持権を侵害したものといえる。また、右改変をやむを得ないとする事情はない。
三 争点3について
証拠(甲一六)によれば、被告の著作権侵害行為によって、原告は、右放送後しばらくは、本件著作物の聴衆の前での口演を避けなければならない状況に置かれたことが窺われ、そのような事情を考慮すると、右著作権侵害行為によって受けた原告の損害は一〇万円と認めることができる。
次に、本件著作物は、原告の代表作の一つであること(甲一、一六)、被告が本件著作物を改変した態様は前記のとおりであること、放送の際に大沢初一の作品と紹介されたこと等諸般の事情を総合すると、右同一性保持権侵害行為によって受けた原告の精神的損害に対する慰謝料としては一〇万円が相当である。
さらに、前記認定した事情を総合考慮すると、原告の損害を回復するために謝罪広告が必要であるとまでは認められない。
四 よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 飯村敏明 裁判官 八木貴美子 裁判官 沖中康人)
謝罪広告
私は原著作者である貴殿の了解を受けることなく、
1.題名を勝手に「猫虎」と改名し
2.内容を勝手に省略、変更、附加、変調し
て平成九年十一月十六日と十一月二一日の両日午後三時三〇分より日本放送協会(NHK)より浪曲「猫虎往生」のラジオ放送を行いましたことは原著作者である貴殿に対し誠に申し訳なく、ここに深く陳謝申し上げます。
平成 年 月 日
高見一朗こと
田村金一郎
国友忠こと
大熊國一殿
大きさ 二段ぬき横三センチメートル
掲載場所 社会面広告欄
国友
題名 猫虎往生
田村
題名 猫虎
赤い夕陽か 粉糠の雨か
「赤い夕陽か」ーなし 粉糠雨「ふる裏長屋」に変更
貧乏所帯の明け暮れは
破れ障子に秋の風
さわさりながら楽しみは
可愛い我が子の成長と
仕事帰りの茶碗酒
節調変更
最近は自動車というものが非常に増えてまいりまして、人の数より車の数の方がしまいに多くなるんじゃあないかと心配をする向きがございます。
明治の頃には人力車というものが一時大層はやったことがございまして、最近はバッタリ影をひそめてしまいましたが、田舎町へ参りますと時たまいまだにこれで稼業をしている人を見かけます。
虎五郎と申しまして、
昔は人力車夫という商売がかなり繁盛したそうですが、只今では花柳界などでちょこちょこみかける位で全く姿は消してしまいました。ある田舎町でこの人力車夫を稼業としておりました虎五郎という男が
名前は大層怖いんですが、気性が猫のようにおとなしいので、人呼んで猫虎という仇名がございます。このおっつあんが、六太郎と申します尋常六年生の子供と親子水入らずの・・・
「おう・六!じゃあなんだ・お父つぁん・仕事に行って来るから、おめえなんだぞ。飯を食ったらすぐに学校へ行くんだぞ。さぼっちゃ駄目だぞ。また・いいな」「お父ちゃん」
「さぼっちゃ駄目だぞ。また・いいな」を「わかってんな」に
「何だい」
「じゃあおいら・どうしても遠足行っちゃあいけねえのか」
「どうしても」を「やっぱり」に
「あゝ、いけねえいけねえ。そんな・千円も千五百円も金が掛るものを、こちとらのような貧乏人が付合っていられるかい。行かなくったっていいんだよ!」
「いけねえのか」を「だめか」に
「千円も千五百円も」ーなし
「今度のは修学旅行だから、東京の上野動物園へ行くんだぜ」
「上野動物園だって・どこだって金がかかるから駄目だってんだよ」
この四行なし
「友達は皆んな行くんだぜ」
「友達は皆んな行くからって、手前一人行っちゃいけねえってこたあ・ねえじゃねえか。何をベソかいてやがんだ・馬鹿。手前はネ、贅沢を言うんじゃないよ・いいかい、ええ・お父つぁんなんぞは手前みてえに小さい時にはネ、ろくに学校も行かれなかったんだ。えゝ、学校行くんだって裸足で通ったんだ・当時は。それを考えりゃあ手前なんざ、ちゃんと学校へやってもらってるじゃあねえか。それに遠足だの、旅行だのって・贅沢言うんじゃあねえ」
「何をベソかいて・・・・いいかい、ええ」
なし
「贅沢じゃあねえやい」
「何い」
「何い」
「贅沢じゃねえよ。社会科の勉強だい」
「贅沢じゃねえよ」
なし
「左官屋の勉強なんかしなくたっていいってんだよ」
「左官屋・じゃねえやい・ちっとも思いやりがねえんだなあ」
「何が思いやりがねえんだよい」
「そうじゃねえか。自分が子供の時に、学校だの遠足へろくに行かれなかったって言うんなら、せめて自分の子供だけは、そういう所へすすんで行かしてやるのが本当の親心じゃねえか」
「そうじゃねえか・・・
「何だ・この野郎・親父に意見をするつもりか、ふざけやがって。行かなくったっていいんだよ!」
「行きてえよ。おらあそれに行きてえから帽子だって洋服だって、ボロになったってねだらねえで・我慢してたんじゃあねえか。見ろい帽子なんか穴があいちゃって。洋服だっで・ボタンが五ツともみんな柄が違うんじゃねえか」
「行きてえよ。
なし
「その方が賑やかでいいや」
「賑やかじゃ・行きてえ・」
「駄目だよ!。駄目だったら駄目だい!」
「駄目だったら駄目だい」ーなし
「う・う・あゝ・」
「何だこの野郎、泣きさえすりゃあ・お父つぁんが言う事きくもんだと思ってやがら。駄目だい駄目だい。泣いたって・駄目だい!」
口では強く言うけれど
心の内はいかばかり
早くに女房に死に別れ
男やもめで苦労して
やっと育てた伜なら
出来れば何でもさせたいが
この身はしがない車曳き
酒や煙草はまだおろか
時にゃ昼飯抜いてまで
つめても暮しが精一杯
旅行が出来ぬと泣く子より
泣かれる親の切なさは
梶棒にぎって今日もまた
人に隠れて男泣き
「どうも旦那・お待ちどおさまでございました」
「御苦労だったネ・虎さん。どうだネ寄っていかないかネ」
「えゝ・有難うございます。旦那の家へお供するといつもどうもお世話・」
「旦那の家へ・・どうもお世話」ーなし
「いいじゃないか寄ってらっしゃい。おゝい・玉枝。玉枝はいないかネ」
「あっ・お帰んなさいまし」
「あっ、虎さんにネ、お茶を入れてやってくれないか・いや、お茶よりも何だ・また例の、あの・あの方がいいか・」
「いいえ旦那・すみません」
「まあいいじゃないか。お掛けなさい、お掛けなさいよ」
「有難うございます。どうも、旦那の家へ来ますと、いつも御馳走になっちゃいまして。えゝ・有難うございます。しかし何でございますネ。旦那のお庭は・いつもよく行届いておりまして・」
「いやいや・犬がいますからネ。汚されちゃって弱ってるんですよ」
「いやいや・・・・・・弱ってるんですよ」
この二行なし
「あそこに・旦那干してありますネ・あの赤いもの・ありゃ何でございます」
「あゝ、あれは唐辛子ですよ」
「唐辛子ですか」
「ええ、一昨日、栃木の親せきから貰いましてネ」
「あゝそうですか。ずいぶん沢山あるようでございますが・」
「いや、ムシロに広げてあるから沢山ある様に見えますけどネ。まとめて見りゃあ一升五合か・二升ぐらいのものですよ」
「あゝそうですか・一升五合、大したもんでござんすネ」
「虎さんどうも・お疲れさまでございます」
「奥さん、お邪魔しちゃっております・どうも相済みません」
「何もございません。あの、お茶代りにお一つどうぞ」
「うあ・すいませんなあどうも、奥さん・あっしの好きなのを知ってるもんだから・有難うございます。頂戴いたします」
「うあ・すいませんなあどうも」ーなし
「おさかなが何もないんですよ」
「いいえ、さかななんぞいりゃしませんよ。さかながなけりゃ飲めねえっていう酒飲みじゃあねえんですから、えゝ・その代り奥さんすみませんが・あそこに干してありますあの唐辛子を一本頂かして貰えてえんでございますが・ああ、すいません。じゃっ、早速頂戴いたします。へ、・有難うございます。旦那の前ですがネ、この唐辛子てえ奴はネ、よくあの味噌で食べたり、それから焼いて食う人がいますがネ。生がようござんすネ、えゝ・ビリッときましてネ、酒の味が一層なんでござんすよ。ええ・じゃあまあ・頂戴いたします。へえ・有難うございます・あゝ・(飲む)どうも・ご馳走様でございます」
「何だ・馬鹿に美味そうに飲むんだネ。唐辛子なんてのはそんなに美味いもんかネ」
「えゝ、あっしや・飯だっておかずがねえときはネ、もう・唐辛子で間にあっちゃうんでがすよ」
「驚いたネ、そうかねえ。しかしなんだろうネ・いくら虎さんが好きだからといって、あそこに干してあるのをいっぺんに食べてごらんと言ったら・食うことが出来ないだろうネ」
「あれを・いっぺんにでござんすか?そりゃあちょいと無理でござんしょうネ」
「例え・僕が一万円やると言っても、食べる事は出来ないだろうネ。」
「な・何でござんす」
「いえネ、君があれを一ぺんに食べたら僕が一万円やると言っても食べる事が出来ないだろう・というんだ」
「あゝ・そうですか・と、あっしがあれ皆んな食べたら旦那が一万円下さるってんですかい・そうですねえ・一万円貰えば・」
「な、なにを・冗談じゃあないよ虎さん、何万円貰ったってそんな事出来る訳ないじゃないか」
「そうですかねえ、一万円ねえ」
のどから手が出るほしい金成程あれだけあるものを一度に食べるということは無理なことかも知れないがしかし食べたら子供がねだる帽子洋服買い揃え望みの旅行もやれるのだ思う途端に虎五郎むしろに干したる唐辛子がチラチラお金に見えて来た
節調変更
「旦那、すいませんがネ・一度やらしてみておくんなさい」
「やらしてみてって・食べ・」
「えゝ、一万円でやれるかどうか・やってみますよ」
「だけど何だよ虎さん・一本残らず食べなきゃ駄目なんです・」
「えゝ判ってますよ。一本残らず・何でしょ・とにかくあっしの腹の中へ入れちまえば・旦那、一万円下さるんでざんしょ。やってみますよ」
「こりゃ面白いネ。やってごらんなさい。えゝ一万円差し上げ・」
「まあ貴方・冗談じゃありませんよ。まあ、そんな馬鹿な・」
「黙っていなさい。男同志・」
「いくら男同志だって、そんな・」
「いいえ奥さん、奥さん、心配しねえでおくんなさいよ。大丈夫ですよ。いやね唐辛子なんぞ平ちゃらですよ。あっしの友達にゃあ・何ですよ昔ネ、あの・セメント食った奴だっているんですから・」
「まあ・セメント・」
「えゝ、あれをねえ、あの、ウドン粉みたいに水でもってこうこねやがってネ、それでベロベロベロベロ食った奴がいるんですよ」
「まあ!・で、その方どうなさいました」
「いえどうなさいましたって、死んじゃいました」
「あら、いやですよまあ・」
「だってそりゃあセメントだから死んじゃうんですよ。だってありゃあ食ってる時は美味そうですがネ。腹ん中へ入りゃみんな固まっちゃうんですから。何のことはない腹ん中へ鉄筋コンクリート建ってるようなもんですからネ。えゝ、セメントはいけません・ですから・唐辛子はネ・固まる心配はねえんですから大丈夫でござんす。やらしておくんなさいすいません奥さん、大きなコップヘお水を一杯ネ。・えゝ結構でござんす。えっ・こらもうこれだけいただけりゃもう・ねえ、百万の味方を得たようなもんで。じゃあ早速やらしていただきますから。えゝ・有り難え有り難えな。金儲けなんてな・何処に落っこってっか判らねえや。ええ、多く見えるけど、まとめて見りゃあ一升五合か二升ぐれえなもんて・フフフ・ずいぶんあるな・こりゃあ。サバ読まれちゃったなこりゃあ、」
「何だい虎さん。嫌ならよして・」
「いや、そうじゃねえんですよ。あんまり好きなのがうんと食えると思って、嬉しくなっちゃって溜息が出たんで。それじゃ旦那、早速やらしてもらいますがネ、どうもこんなに数あんのを一本ずつ頬張ってたんじゃラチがあきませんからネ、二、三十本ずつまとめて頬張っちゃいますから。ええ・その点はどうぞ御勘弁願いまして、こいつを手の中へこう入れましてネ、これをネジちゃいますから・これをグッと・ネジるとこの・黄色い奴が飛び出して来ますがネ。これがまた乙な味なんですよ。じゃあまあ・戴きますから、はい・う・う・ガブ・う・うっ・うっ・うー!
こりゃあ辛いでしょう。口の中へ火の玉が飛び込んだようなもんで・
「ウワッ!」
ときましたが、なあにこの我慢が一万円だと思うから虎五郎、水を飲んでは唐辛子を飲み、水を飲んでは唐辛子を飲み、一心くらい恐ろしいものはございません。むしろ一面に干してありましたのをやがての事に、一本残らずお腹へ入れちまった。お腹へはどうにか入れましたが、無理は出来ません。さあその後が大変です。ガソリンを飲んで火を付けたようなもんで。お腹ん中が煮えたぎるよう。
なあにの次「一万円大明神」に変更
「ウィーッ!」
「どうしたんだ虎さん!」
「ウィーッ!」
青い顔をして表へ飛び出した虎五郎、夢中になって一町程下へ下って参ります。大川という橋の上から・ザブーン・。
身を躍らせ川の中しばし間は虎五郎浮きつ沈みつもだえていたがよせばよかった舌切雀つまらぬ欲が仇となりそのままあの世の人となる
一行目なし
節調変更
「そのまま」を「ついには」に変更
「何だい虎さん・死んじまったんだって・」
「そうなんだよ」
「何処で死んだんだよ。うん・大川で、馬鹿な事をするじゃねえか・うん、うん、底に沈んでた?・だってあの川は背が立つじゃあねえか・」
「いや、背が立つんだけどネ・沈んでたんだよ。で、医者が来て見たんだけどネ・原因が判らないってんだ。で・河童に殺られたんじゃねえかってんだよ」
「河童ったって・馬鹿な事を言うなよ。大川に河童なんぞいねえじゃねえか」
「だけどネ、腹からこの辺へかけて、この引っかいた傷がいっぱいなんだよ。だから、え、いや、その引っかいた傷がネ、六十四本あるんだよ」
人物変更
「だからどうして河童なんだよ」
「いや・河童六十四・」
「何を言ってやんだい。くだらねえ事を言ってやがらあ・」
貧しい人はまた格別に人情が厚いもので、二間続きの貧乏長屋。その二間をぶっこ抜いて、正面にお粗末ながら祭壇が出来ております。
「竹さん、竹さん・」
「おう、おう・新聞屋のおばさんかい」
「まあゝ・驚いちまった・いえ・この子がネ、今私の所へとんで来てさ。 お父つぁんが死んじまった って言うんだろ。びっくりして飛んで来たんだけど、何で死んだ・えっ、うん、うん・水で、まあどうしてそんな事になったんだろうネ。いえそれがネ、こうなんだよ。今朝方・私がネ、いつものように駅で新聞を売っていたら、私のそばへ俥を持ってきて、客待ちをしていたんだけどさ。蹴込みに腰を下ろしている格好が馬鹿にしょんぼりしているんだよ。それから気になっちまってネ。どうしたんだい虎さん、お腹が痛いんじゃないかい
文句変更
私が聞いたら そうじゃあないんだおばさん、実は子供に遠足をねだられたけど、金がないから出してやる事が出来ない。今頃野郎は学校へ行って、他人様の子供は親から貰ったお金をみんな先生に渡してニコニコしているのに、野郎一人が下を向いてしょんぼりしているんじゃないか・(泣く)って、それを考えるとたまらなく自分が情けなくなる ・涙をポロポロこぼしているんだろう・。それから気の毒になっちまってネ、 何を言うんだ虎さん、困る時は相身互いだよ。帰りに家へ寄ってごらん。千円や千五百なら何とかなるよ 私がそう言ったら・ おばさん有難う何とか頼むよ ・そんな話をしていたんだよ。それが死んじまうなんてまあ・可哀そうに・まあ、可哀そう・(泣く)・」
我が子に心を残しつつどんな思いで死んだやらこれも寿命といいながら一人頼りの父親に死なれたあとはどのようにこの子が苦労するのやら思えばはかない人の世の冷たい定めがうらめしい
この八行なし
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・虎さん、迷わず成仏するんだよ・」
この二行なし
そのうちに坊さんが参りまして、お経が済みますとお開きという事になります。
あとは生前ごく親しかった者が、五、六人集まりまして、形ばかりの御通夜をすることになりました。
「坊や・こっちいおいで。まあ眠くなっちまったんだろ。可哀そうに・え、な、何だい竹さん・」
「いや、皆んなが飲もうってんだけど・どうだいおばさん・」
「飲もうたって・お酒なんか無いじゃないか」
「いや、あるんだよ。あのブローカーの村田さんがネ、香典を千円に酒を二升持って来たんだよ」
「村田さん」を「木村さん」に
「酒を二升」を「酒三升」に変更」
「あら、いやだよ・村田さんて人は、いつもあの虎さんの車に乗っている人だろ・」
「そうだよ・ヒゲ生やした・」
「やだよ・まあ。その人今日も乗ったんだよ」
「じゃあ、そんなことでもって・寝ざめが悪いから持って来たんじゃねえのかい・それを飲もうってんだがどうだい」
「そうだねえ。頂いちゃおうかネ、ちょいと坊やどいとくれ・何人いるんだい。え、五人だネ・はい・じゃあ茶碗は五つありゃ足りるんだろ」
「五つありゃったって・おばさんのが無えじゃねえか」
「いえさ・私は女だから・さ」
「いいじゃあねえかよ、付合いなよ」
「そうかい・悪いネ、じゃあ私は丼で一つ・」
「なんだい。すごいな、おい」
お酒が入りますと陰気な座が一ぺんに陽気になってしまいます。
「おばさん、おばさん!どうだい・このうベタベタベタベタ酒くらったってしょうがねえからよ。威勢よく歌かなんか唄っちゃおうじゃねえか。いや・仏の野郎は歌は好きだったんだから、下手な念仏やお経よりもよっぼどくどくになるよ、な、みんな。どうだい、おばさん口あけに一つやうてもらおうじゃねえか。知っているようこの間ラジオヘ出て鐘三つ鳴らしたんじゃないか・」
「いやだよう。あれはお国自慢だよ」
「お国自慢のおけさ節ってのは・おばさんの十八番じゃねえか・なあ皆んな。よう、やってくれよ・よう、アリャアリャアリャサッと、さあおばさん唄え・」
「冗談じゃないよ・女が口あけだなんて・そうかい・じゃ虎さんが喜ぶっていうからやるんだけどさ。恥ずかしいじゃないかね、全く・」
抜いた
ハアーあ、過ぎた(アリャサと)お方に なぞかけられてよ(アリャアリャアリャサと) 解かにゃならないしゅすの帯・(アリャサ)
抜いた
「うまいもんだネおばさん。えぇ・よし、俺もおばさんに負けていられないよ。おばさんに負けてたんじゃね、男の恥だから、俺はよし威勢よく相馬盆唄やっちゃうから。おうみんな、皿小鉢叩いてもらおうじゃねえか。相馬盆唄だよ、こっちは。チャカジャンジャンジャカジャカジャンジャンジャンカジャンジャン・」
やあーれよ、今年ゃ豊年だよ(ア、コリャコリャッつと) 穂に穂が咲いたよ あーあ、道の小草にもヤレサ、エー米がなるよ スッチョイスッチョイスッチョイなっと・
「今年ゃ豊年だよ」を「月はまん丸」に変更
文句変更
えらい騒ぎになったもんで・。
「お待ち、お待ち・竹さん、あの、まあまあ・まあ、あのね、や、歌はいいんだけどさ、どうだね・虎君にも一杯飲ましてやったら。いや棺桶にまだ釘がしてないんだからフタはすぐ取れるんだからさ。一寸手をかして、そっちもって。いいや、ほら、見てごらんよ。欲しそうな顔をして・虎君、あのネ、やあ、今、皆んなで君のために歌を唄おうという事になったんだけどネ。君と僕とは飲み友達だ。君に一杯飲んでもらおうと思って、儂が提案をしてネ、今一寸お仲入りをいただいたと・こういう訳だ。ええ、ま、冥土のお土産だ。儂の最後の盃を受けてくれ給え。ええ・虎君、ええ、いやいや儂だって歌いますよ。だけど儂はどうも今流行の民謡とか、ジャズって訳にはいかんからネ。昔流行った、あの、ほら、君とよく一緒に歌った、あの都々逸ってやつがあるから・ええ、何だコリャと、コリャコリャと、
お酒飲む人、しんかち可愛い
飲んでくだ巻きゃなお可愛い
「ボツゝボツゝボツゝボツゝボツゝたこの足」に文句変更
と、キタコラサノサのお飲みなさい・と。お上がりよ、と。あ、きたこ・あれ・飲むネこりゃ。飲んじゃったネ。あゝそうか。都々逸供養ってんだなこりゃあ。飲むんだネ。そうかいそうかい・」
たこの足「お飲みなさい」に変更
「な、何をやってるんですよおじさん」
「何をやってるったって・飲んじゃったんだよ」
「何を馬鹿な事を言ってるんですよ。仏がお酒を飲む訳ないでしょう」
「飲む訳ないでしょう・ったって飲んだんだから仕様がないじゃないか。まあいいじゃあないか虎さんに貰った酒なんだから。まあまあまあ、みんなやるってえ訳じゃないんだから。虎君、おばさんから苦情が出たから、これでおつもりだからネ。え、もうこ・アリャリャリャリャリャリャ!・」
「まあ・どうしたんですよおじさん、何を・」
「・虎君がいま・舌なめずり、したんだよ」
「ええっ!何を言ってるんですよ。ま、どいて、どいてごらんなさいよ、本当に。虎さん!なんです本当にまあ意地が汚ない。死んでまでお酒・アララララ!・」
「ど・どうしたんだおばさん・どうした・」
「あゝ・やだよまあ・見てごらんよ、虎さんが目を開いているんだよ!」
「あたいを見てニタッと笑った」に変更
「ええっ!」
驚いたの何の、一同がギョッとしたトタンに、棺桶をミシミシいわして虎五郎が、ぐーっと体を起したから、驚いたの何の!
「出た!」
「虎さん勘弁してくれ!悪いと思って歌を唄ったんじゃないんだから・さあ、さあ、迷わず成仏してくれ・」
「虎さん勘弁・・・迷わず成仏してくれ・」を「南無妙法蓮華経」に変更
「なんでえなんでえ。何を騒いでやがるんでぇ。何?俺が死んだ・馬鹿なことを言うねぇ・俺が・アレ、何だ、またずいぶん派手なものを着せやがったな、こりゃ、おい、ひどいな・こりゃあ・」
「あゝ・お父ちゃん、お父ちゃん・」
「あっ六!何処にいたんだい。えらく心配しちまったぜ。いやいや、お父っあんは元気だよ。おらぁな、お前が東京の上野動物園へ行ってライオンに食いつかれた夢をみてえらく心配しちまったよ。何だ、明日、学校の先生の所へな、これこれこういう訳でございますから、えゝ・金が遅れましたって・持ってって行ってこい。な、うー行って来い。何ベソかいてやんだい」
「・行かねえ、行かねえ、おいら遠足なんか行きたくねえ」
「どうして行きたくねえんだい」
「遠足なんか行かなくていいから、死なねえでいつまでも生きててくんな・」
「死なねえで・・・生きててくんな」を「二度と唐辛子(とんがらし)食わねえでくれ」に変更
「なにをしめっぽい事を言うんだい馬鹿野郎。お父つぁん・手前が嫁もらって、孫の面見るまでは死ねるかい。あ、あっあ・、手前がそんな陰気なことを言うからみやがれ、お父つぁんまた、腹ん中が何だか知らねえが・グーッと、熱くなって来やがったい・」
何と奇蹟があるものよ
死んだと思った虎五郎
我が子を思う愛情に
地獄のエンマもほだされて
この世へ送り帰したのか
いたずら半分飲ませた酒が
気付になったのか
再び息を吹き返し
我が子を抱いてうれし泣き
貧乏所帯の父と子に
春は再びよみがえる
「奇蹟」を「不思議」に変更
節変更
「うれし泣き」を「男泣き」に
「貧乏暮らしの長屋にも」に変更